执笔者プロフィール

中西 保仁(なかにし やすひと)
その他 : 印刷博物館学芸員塾员

中西 保仁(なかにし やすひと)
その他 : 印刷博物館学芸員塾员
バチカン市国にLa torre gregoriana(通称、風の塔)とよばれる建築物がある。美術館と図書館の間にそびえたつこの塔は、バチカンで最初に天文台が設置された施設として知られる。ローマ法王グレゴリウス13世は1570年代、できたばかりのこの塔に天文学者たちを集め、改暦を目指す。ローマ?カトリック教会はもちろん、プロテスタントにとっても見すごせないほど、当時のユリウス暦は1年の長さに誤差があった。82年、天文学者の優れた知見を結集することで、法王はついにその誤差を劇的に縮めることに成功した。法王の名を冠する新暦は、ユリウス暦にくらべ、うるう年の数だけでもはるかに精度が向上している。風の塔はまさに、現代のカレンダー「グレゴリオ暦」誕生の地といえるだろう。
じつは约1世纪前にも、同じように改暦を目指し天文学者がバチカンに集められたことがあり、その中にドイツ人レギオモンタヌスの姿があった。ニュルンベルクに设置した天文台で天空の动きを観察し、観测用器具まで製作するこの天文学者は、みずから印刷出版を行う印刷者でもあった。西洋で活版印刷が诞生して间もない1473年ごろに、レギオモンタヌスは印刷所を开设。プトレマイオス、ユークリッド、アルキメデスといった古代の数学者/天文学者の书物から、同时代の天文书まで刊行している。
レギオモンタヌスのようにみずから校订し、书物を印刷?出版する学者を「学匠印刷者蝉肠丑辞濒补谤-辫谤颈苍迟别谤」と呼ぶ。天文学者のみならずルネサンス期の人文主义者は、ギリシャ?ローマ古典や自着を、时空をこえて人びとへ届けようと活版印刷の习得にはげんだ。実际にレギオモンタヌスが残した资料群は、时间と空间を飞びこえてニコラウス?コペルニクスの手にわたり、地动説発表に供されることになる。
グレゴリオ暦改暦后も天文学と印刷出版の紧密な连携はつづいた。彗星観测で知られるティコ?ブラーエは、観测所に印刷工场を併设し研究成果を出版。ティコの助手をつとめ、観测データを引きついだヨハネス?ケプラーは、自着の出版のため校正校閲はもちろん、资金集めから用纸手配、活字の父型彫刻および鋳造の监督まで行った。そしてやはりというべきか、みずから印刷所も开设したようだ。ケプラーは活版印刷に深くかかわりながら、コペルニクスによる太阳中心説を発展させ、惑星轨道の叁法则を确立したのである。近代宇宙観を构筑し、グレゴリオ暦普及をリードしたヨーロッパの天文学者のなかには、少なくない数の学匠印刷者が含まれていた。
他方、このグレゴリオ暦は日本でどのように受け入れられたのか。採用されたのは1872(明治5)年。月の运行に影响されたそれまでの暦(太阴太阳暦)をリセットすることで、文明开化を加速させようとする试みだった。
学制公布や鉄道开通など近代化にむけて激しく揺れ动いたこの年。なかでももっとも混乱を招いたのがグレゴリオ暦(太阳暦)への転换だろう。明治政府による改暦はあまりに急だった。11月9日に改暦が発表され、実施されたのが12月3日、つまり公表から実施まで準备期间が1カ月に満たなかったのだ。旧暦にあわせて农业を営んでいた农民は「新暦反対一揆」に出たり、政府周辺にも反対势力がいたりして、改暦そのものをやめてしまえ、という机运が高まる。そんなときに国民にむけて、福泽諭吉は自着『改暦弁』で太阳暦导入に対する心构えを説く。改暦にあわせて刊行された、庆应义塾にとって最初期の刊行物の一つでもある。
政府のやり方はともかく、太阳暦がどうして必要なのか、福泽らしいわかりやすい言叶で国民に説く。新暦が必要とされる経纬を述べる中、「太阳暦がいらない、なんていう奴は大バカ者だ」と厳しく断じる箇所もある。わかりやすくためになる、と海贼版まで出る始末。いかに福泽の意见が国民の支持を得ていたかわかるだろう。先に述べたユリウス暦との误差に触れつつ、巻末では时计の文字盘の见方まで説明している。今では当たり前の时计も当时の日本人には珍しかった。
ヨーロッパでは学匠印刷者のもとに教养ある人びとが集い、校订、编集作业を行いながら、活発な议论が繰りひろげられていたと考えられる。福泽がいた当时の庆应义塾出版局も似た环境にあったのではないか。屋号「福泽屋諭吉」をもつ福泽は、まぎれもない出版人だった。
刊行した自着を、责任をもって贩売していくという信念から、福泽は叁田の构内に印刷所併设の庆应义塾出版局を设立。义塾関係者に加え、官庁や他大学からも知识人がつどう出版局からは、『学问のすゝめ』をはじめ启蒙书が刊行され、明治初期の论坛をリードしていった。印刷机のそばで皆と语らう福泽を、日本における学匠印刷者と呼んでみたくなるのは私だけだろうか。
※所属?职名等は本誌発刊当时のものです。