执笔者プロフィール

我部 政明(がべ まさあき)
その他 : 琉球大学名誉教授塾员

我部 政明(がべ まさあき)
その他 : 琉球大学名誉教授塾员
冲縄の施政権返还により、3亿2000万ドルが日本から米国に现金で5年の间にわたって支払われた。この金额は、当时の日本の外货準备高152亿3500万ドルの2%に相当した。
この支払いは、返还(1972年5月)を実现するための冲縄返还协定(1971年6月に调印)で、日米安保条约や米军の地位に関する协定をそのまま冲縄に适用するための日米合意の一つであった。返还协定の第6条1项で、米国の冲縄统治の民政用资产(电力、水道、金融公社の他に道路、行政ビルなど)を日本が买い取ることとなった。2项では、日米安保条约にて日本が米军への基地提供を定めているため、米国の资产である米军基地が日本へ移転する际に、日本がその费用を支払うことになった。これを受けて、第7条で、冒头に示した支払い金额が记された。
公开されてきた施政権返还の日米の公文书を読んでみると、この支払いは当时の佐藤栄作政権が求めた「本土并み」返还から米国の导き出した対応の结果であったことがわかる。本土并みとは米军基地を本土并みに缩小することではない。冲縄を日本に「復帰」させること、つまり、再び「冲縄県」を设置することであった。ちなみに、日本の琉球併合(1879年、琉球処分とも呼ばれる)の完成として冲縄県が设置され、冲縄戦(1945年)で崩壊した。
日米安保条约第6条にて、米国は日本に基地を置くことが许されている。その第6条を具体化する地位协定の第24条にて、日本は基地の提供义务を负い、米国は基地维持の経费を负うと定められた。冲縄が「本土并み」となると、米国が建设?整备してきた冲縄の米军基地は、日本による提供へと変わる。すると、施政権返还にともなって、米国では、とりわけ国民の税金を投入してきたその费用负担をめぐって米国议会への説明が求められる一大関心事となった。
1952年発効の旧安保条约以来、60年の安保改定后の米军基地は、その多くが旧日本军基地を引き継いでいた。训练场(北富士演习场)提供や基地拡张(砂川事件)への抵抗が、冲縄と同様に起きた。また、旧安保条约下では米军驻留経费の一部を防卫分担金として日本が支払ってきたことも政治问题化していた。しかし、朝鲜戦争休戦协定(1953年7月)以降、日本からの米地上军の撤退(1957年から开始)により基地が缩小され、60年の安保改定に伴って防卫分担金がなくなった。冲縄を除き、日本での基地负担感は激减していった。
返还交渉にあたって米国は、施政権返还を前提として「いかに返还するのか」の方策を练ったのである。返还しないという选択肢はなく、米国は日本からの最大限の譲歩を目指した。日本は、他方で、米国が施政権返还に応じるのかどうか、把握できない状态が69年11月の佐藤?ニクソン会谈の直前まで続いていた。その违いが、日本の譲歩を生んだ最大の要因であろう。米国は财政?経済の分野での譲歩を引き出すために、安全保障の分野との取引きをしないと自ら制限していた。この交渉戦略は、安全保障上、より多くのことを日本から引き出すことになった。先の3亿2000万ドルは、米国が交渉で引き出した日本の譲歩の一つであった。
返还の际に、なぜ米国は日本に支払いを求めたのか。その根拠は地位协定にあった。
地位协定の第4条の规定は、日本、とくに冲縄ではよく知られている。同条1项で、基地返还に际して米国は原状回復や补偿の义务を负わないと定めている。2项で、基地返还の际、それまで米国の费用で建设された施设や工作物などについて、日本は补偿する义务を负わないと定めている。これは実绩が少ないためか、前项に比べ知られていないようだ。冲縄の米军基地に地位协定が适用されると、米国はこの2项に基づいて投资した费用の补偿を日本に求めることができなくなる。施政権返还前に、米国は基地建设と整备の费用への补偿を日本との间で取り决める必要があった。
その交渉は、日本が個別に評価額を積み重ねることを求めたのに対し、米国は一括支払い(quid pro quo)を要求した。最終的には、政治的決着により処理された。秘密の日米合意では、民政用資産買取り額として1億7500万ドル、そして返還に伴う基地返還の「移転費およびその他」として2億ドル、合計3億7500万ドルと記された。方法は、日本の要望で3億ドルを現金で分割払い、7,500万ドルを物品役務とされた。返還協定調印直前になって、原状回復補償費とVOA(Voice of America)移転費が現金支払い分に上乗せされて、総額で3億2000万ドル。協定では明記されなかった(秘密の)7,500万ドルは5年にわたり予算計上され、増額されておもに米軍基地の整理統合計画に使われた。その後は「思いやり予算」の名称で、米軍への財政支援が続く。米軍駐留経費をめぐる日本負担の原型が、沖縄の施政権返還とともに生まれた。
现在、冲縄の名护市辺野古で飞行场建设が进む。その普天间基地の「移転费」は日本の负担が前提になっている。その源流は、冲縄返还にまで遡る。
※所属?职名等は本誌発刊当时のものです。