执笔者プロフィール

后藤 新(ごとう あらた)
その他 : 武蔵野大学法学部准教授塾员

后藤 新(ごとう あらた)
その他 : 武蔵野大学法学部准教授塾员
私が编集部から与えられたテーマは、右记のように太田朝敷(ちょうふ)(1865~1938)と高岭朝教(ちょうきょう)(1868~1939)についてである。琉球新报は、现在も発行を続ける冲縄県を代表する新闻纸の一つなので、本誌の読者もご存知のことと思うが、太田と高岭については、果たしてその名前を闻いたことがあるかさえたいへんに心もとない。
太田は首里の士族出身で、近代冲縄を代表する言论人である。とくにクシャミの仕方まで他府県と同じにするべきだとした极端な同化论を主张したことでよく知られている。また、冲縄の产业発展のため冲縄砂糖会社の社长や、晩年には首里市长も务めた。
高岭も首里の士族出身で、冲縄初の私立银行である冲縄银行(现在の冲縄银行とは异なる)の初代头取として长く経営に関わったほか、初代県会议长や冲縄初の众议院议员、初代首里市长を歴任するなど政财界で広く活跃した人物である。
2人は1882(明治15)年、第1回県费留学生に选抜されて上京し、学习院での寄宿生活を経て、ともに庆应义塾で学んだ。后の太田の言论活动において、とくに文明论については、福泽諭吉の『文明论之概略』の影响がよく指摘される。庆应义塾での学びは、太田らに强く影响したようである。
当时、冲縄県内では、明治政府が强制的に日本に统合した、いわゆる琉球処分を不服とする旧支配者层を中心に亲清派が强い势力を有しており、県庁は穏便な统治を行うため、いわゆる旧惯温存政策を进めていた。东京での留学生活を通じ、世界が大きく変化していることを知った太田らは、冲縄の近代化が遅々として进まないことに强い危机感をもった。こうして冲縄に戻った太田と高岭は1893(明治26)年、尚顺(最后の琉球国王尚泰の4男)を社长に、护得久朝惟(ごえくちょうえい)や豊见城(とみぐすく)盛和とともに琉球新报を発刊したのである。なお、护得久と豊见城も庆应义塾で学んでおり、さらに太田らと同じく県费留学生として庆应义塾で学んだ岸本贺昌(がしょう)や、庆应义塾出身で后に『国际法学』を着した今西恒太郎も东京で発刊の手伝いをしたという(1893年9月17日付『东京朝日新闻』)。
琉球新报発刊の目的は、冲縄の人々に世界の潮流を知らしめ、冲縄の社会势力を育成し発展させるとともに、他府県からの差别意识を无くさせることだった。20歳になったばかりの尚顺をはじめ、全员がまだ20代の若者であり、彼らは理想に燃えていたのである。创刊时はわずか500部ほどの発行数だったようだが、文明开化の象徴たる言论机関が冲縄に诞生した意义は大きかった。翌年に始まった日清戦争での日本の胜利もあって、県内の风向きは大きく変わる。亲清派が势力を弱め、太田ら新思潮派が影响力を强めたのである。
しかし、太田と高岭は、日清戦争后に起きた公同会运动の挫折をきっかけに别々の道を歩み始めた。公同会运动とは、尚家を世袭の県知事にしようと政府に请愿するもので、2人とも运动に深く関わっていた。ただし、そのような请愿が认められるはずもなく、时代错误の復藩论として県内外から强く批判され失败に终わったのである。
その后、太田は琉球新报を牙城として、文明化の必要を执拗に説き続けた。そして、その障害になるならば、批判の矛先は尚顺らにも向けられた。一时期、太田は琉球新报から离れるが、长く琉球新报の社长を务めるなど死の直前まで言论人として活跃した。その间、太田の思考には変化もみられるが、冲縄の自立を目指す姿势は一贯していた。そのためには文明化が必要不可欠であり、先に挙げた极端な同化论も、旧惯温存政策によって他府県より着しく遅れていた冲縄を1日でも早く変革させるためだったのである。
一方で高岭は公同会运动の后、先述したように政财界で広く活跃した。とくに1912(明治45)年5月に行われた、冲縄県初となる众议院议员选挙においては、立宪政友会から公认をうけ最多得票で当选を果たした。なお、もう1人の当选者は、同じく立宪政友会から公认をうけた岸本である。
しかし、高岭は任期中の1914(大正3)年7月、突如、议员を辞职した。一説には、宪政会派の大味久五郎県知事による圧力が影响したとも言われるがよくわからない。高岭自らが语るところによれば、「近来政界の波澜重畳して召集频繁なるが為め一年の中殆ど半歳以上を东京に送り自然余の従事しつつある冲縄银行、冲縄広运株式会社及石炭业等に种々の支障を来すものあるが故に(…)専念事务に従事するの决心」(1916年7月7日付『琉球新报』)をしたのだという。高岭の言叶を信じ、冲縄のためには政治家よりも実业家として活动することが大切であるとして辞职を决断したのならば、ここにも福泽の影响をみることができるかもしれない。
※所属?职名等は本誌発刊当时のものです。